新潟県中越大震災から5年が過ぎました。

5年前の今日、10月23日 午後5時56分頃
新潟県中越地震が起きました。
68名の方が亡くなられました。
魚沼市小出地区は震度5強。

あの時のことは、今でも鮮明に記憶しています。
土曜日の夕方でした。
さて、これから夕ご飯という時
ご飯をお椀に入れようとした時でした…….

いきなり、それはやってきました。
とっさにコンロの火を消したのですが、
テーブルにつかまっていないと
立っていられない程の縦揺れ…….
棚からガチャガチャと飛び出してくる
食器!!
食器棚が倒れそうだったので
思わず棚を手で押さえていた。

いつまで、続くのだろうかと思う
長い長い時間。
終わったかと思うと、また次の地震がやってくる。

そして、停電になって、あたりは真っ暗に
手探りで懐中電灯を探しに行った。

あまりにも次々とやってくる余震の恐怖で
家族で外(アーケード)へ避難。
開けていた玄関のシャッターは、地震の揺れで
閉まっていた。
町内のみんなが、外で様子をうかがうしか
なかった。
何もできない!!

まだ、大きな余震は続く!!
電柱が左右に大きく揺さぶられて
倒れそうだった。
アスファルトの道路が大きく波を打つ
光景を目の当たりにして
恐怖感は、増すばかり……..

町内の皆で、とりあえず
近くの銀行駐車場へ避難。
辺りは真っ暗。

1時間たっても2時間が過ぎても
余震が立て続けにやってくる。
地震が来る前の「ガ~~~」という
「地鳴り」という音を初めて聞いた。

その夜は、町内の皆でここで
過ごすことに。
バーベキューのために、公民館に
あった炭を燃やして暖をとったり。
車を出して来て、エンジンをつけたまま
暖をとったり。

真っ暗闇の空には、
今までに見た事も無いような
星がキラキラと輝いていた。
余震は、深夜を過ぎても続き
この日は一睡もしなかった。

5年が過ぎても、あの夜の恐怖は
未だに克明に脳裏に刻まれている。

幸い、私の暮らしている町内周辺では
建物の一部が損壊したくらいで
(局地的に、全壊家屋あり)
怪我をする人もなかった。
震源域から10キロほどしか離れていないのに。
不思議なくらいだった。

震源にさらに近い
堀之内地域では
全壊、半壊の家屋は多数あった。
私の親戚の方の家も大規模半壊になってしまった。
震源地域は震度7
いや、それ以上だったのかも知れない。
その恐怖は、私たちの想像をはるかに
超えるものだったことだろう。

今日は、地震のあった時刻に
各家庭がローソクの炎をつけて
震災の復興を願う。

地震は何時、どこで起きても
不思議ではないようだ。
今年は、海外で大規模地震が
頻繁に発生して、犠牲になった人も
大勢いる。

私の暮らしているところには
地震はこないと思い込んでいたが
あの日、中越地震は突然にやってきた。

自然災害は人間の力では止める事はできない。
地震は現在の科学水準では予測することもできない。
いざという時の備えは万全にしておいた方が
よいのは言うまでもない。

※あの日は、朝から野鳥がいなかったように思う。
 何か人間にはわからないものを察知したのだろうか?